三宅Style 第4回 水沼吾郎氏(吾郎丸・漁師)インタビュー
「三宅島は「宝の島」です。」
三宅島とはどのように出逢ったのでしょう?
島がもともと好きで、船も好きで、式根島で刺網漁の仕事をしたり、瀬戸内海で養殖の仕事もしていました。漁師として独立できるような島を探していたら、たまたま三宅島で漁業研修生を募集していることを知って、三宅島を訪れました。最初は短期研修に参加し、その後、長期研修に参加したんです。
小さい頃から、島や船には興味があったのでしょうか?
生まれは静岡県伊東市ですが、2歳ぐらいで東京に越してきました。なので、育ちは東京です。成人するまでは漁師との接点はまったくなかったです。漁師への興味もなかったんですよね。(笑)
家族で海に出かけたりして、海には興味がありましたか?
人並み、ですね。(笑)
漁師にはどのタイミングで興味を持つことになったのでしょう?
ふと、ですね。(笑) もともと船が好きだったので、20歳くらいの時に船舶の免許を取ったんです。どちらかというと、船好きから入っていった感じです。釣りも子どもの頃やっただけで、大人になってから釣りの道具を買ったこともない。借りてちょっとやるくらいでした。そんなに好きではなかったんです。今でも丘(おか)から釣ろうとはあまり思わないんですね。
免許を取ったので、クルーズのようなことができたらとは思っていましたが、漁師になるなんて思いもしなかったです。免許を取った後に船の舵を握ったのは、26歳の時。式根島で刺網漁をするまで、6年間ほど握ってなかったんです。
6年の間にいったいどんな転機があったのでしょう?
なんでしょうね・・・。たまたま雑誌に式根島で漁師の募集記事が載っていて、島が好きだし、船も好きだからやってみようかな、くらいな感じで。住まいも東京23区内でしたし。
式根島ではどんな漁をされましたか?
刺網でタカベという魚を獲っていました。そんなに遠くに行かないところで漁をしていました。
式根島では、タカベ漁は4月から9月までしかできないので、その期間を2シーズンやりました。だから式根島には2回通ったんです。
その後帰ってきてからは、小笠原で3ヶ月くらい仕事をしたり、三宅島に来る前には、瀬戸内海の直島で魚の養殖の仕事をしていました。遊びでは、沖縄、奄美大島、与論島、特に瀬戸内海の島々は、働いていた時にかなりいろいろ行きました。
島のどういう魅力に惹かれたのでしょう?
単純に「行きたい」という気持ちからです。説明しにくいんですけどね。島に降りたつ感覚だったり、独りきりになれて、煩わしくない場所だったり。
三宅島に行こうと思ったのはいつでしょうか?
33歳の時ですね。三宅島漁協で開催している短期漁業研修事業の募集を「漁師.jp」というインターネットで見つけたんです。瀬戸内海に行って魚の養殖の仕事をしている時に、独立してみたいと思うようになりましたが、養殖で独立は厳しいと思いました。
三宅島には噴火前の1999年に、船舶関係の仕事で一度来たことがありました。
短期漁業研修は5日ほどで、海に出れるのは3日。来島した時は海が荒れていて、2日くらいしか出られなかったんです。
漁師の経験があるので、全くの未経験ではなかったんですよね?
そうですね。短期研修に参加した時に、長期研修にも申し込んで、最終的には、2年4ヶ月の長期研修に入りました。短期研修の際に話を聞いたら、何とかやっていけるんじゃないかと思えるようになりました。
実は、三宅島に来る1か月前くらいに神津島の船に乗る体験をしたんです。
神津島と三宅島は天秤にかかったわけですね。(笑)
ちょっとありましたかね。(笑) でも、三宅島の方が早く独立できるかなというのと、神津島の船は下田を拠点にしていて、自分としては島が好きだったので、下田よりかは島にいたいなぁということで、三宅島を選びました。
9月中旬に短期研修がありましたが、一度戻ってから、11月には長期研修に入りました。
2ヶ月で決めるなんて、だいぶ早い決断ですね。
そうですね。短期研修で手厚くしていただいたこともありました。
長期研修が始まって2週間くらいは、はえ縄漁にも行きました。漁師の経験があったと言っても基礎からやり直しでした。はえ縄漁は危険なことも多いし。最初のうちは見て覚えることが多かったです。いくつかの船に乗りながら覚えていきました。
漁師の一日というのはどんなスケジュールでしょうか?
漁場にもよりますが、キンメ(金目鯛)は日の出から日没までの漁になります。
朝は、まず日の出に間に合うように漁場に着きます。朝まずめで反応がよくなるんですね。例えば、間鼻(まはな)という漁場までは3マイル(約6km弱)で、30分程度で到着します。今の季節なら朝5時30分に出発するので、5時前には起床します。遠い漁場なら、約40km離れているので、朝6時に間に合わせたいなら3時15分には出発します。
研修中の師匠となられた、大洋丸・古谷親方とはどのように出逢ったのでしょう?
漁協の組合長から古谷さんを紹介されたのですが、古谷さんとしては、2、3日面倒見るつもりが2年以上になったんです。(笑)
古谷さんとは、住む場所こそ違えど、食事も含めて生活を一緒にしました。緊張しましたよ。お互い話す方ではないので、聞けば教えてくれるけど、聞かないと教えてくれない。(笑)失敗しては船の上では怒られました。
古谷さんにとっても自分が初弟子で、古谷さんにも戸惑いがあったと思います。1年くらい経ってようやく馴染んできたように思います。
うまくやっても、特にほめられることはなかったです。船が決まって卒業間際になって、ようやく認めていただいたかと思います。基本的には厳しかったですね。ご飯を一緒に食べながら、お酒を一緒に呑みながら、だんだんといろいろ尋ねることができるようになってきました。
卒業が決まるタイミングというのはどのようなものでしょうか?
もちろん、親方のお墨付きをもらったら、ということはありますが、独立してから乗る船が見つかりにくく、卒業が遅れるということもあります。自分の場合はタイミングよく船が見つかりました。
他を聞いても、2年4ヶ月ほどで、そんな早くに独立することはないそうです。ほかの島では7年以上乗って初めて独立とか、知人は10年かかったとか聞きました。独立するまでは、誰かの船に乗りながら生計を立てるんです。中古の船が売り出されて、自分は入手できたということは、とても運が良かったと思います。
漁師として一本立ちする時には、試験とかあるんですか?
試験らしい試験はなかったですよ。(笑) すぐそこの間鼻(まはな)という漁場は、船が決まる半年前、9月くらいから自分が船頭でやらせてもらってました。出船から舵取り、魚探(魚群探知機)で反応を見て潮を読むこともやらせてもらえました。親方はもちろん乗って、です。
漁船に慣れているくらいで、キンメ漁とかはしたことがなかったし、一から覚えました。
でも自分の中では辛いということはなく、楽しかったです。
独立して変わったことはどのようなことでしょうか?
漁だけではなく、船にかかる経費の計算にはじまり、売上や収支の計算もしたりと、いろいろやることがあります。自分で船ごと会社を持つようなものですね。
三宅島の漁師さんは弟子を抱えていないということでしょうか?
弟子を取って乗っている人はいないですね。まず船に2人乗っていることがあまりないですし。弟子(乗り子)の募集もないから、独立するしかないですよね。
昨年3月に独立してちょうど1年経ちましたね。
あっという間の1年でした。
昨年8月は28日出漁しましたが、冬は月の半分も出られないこともありました。自然相手だから、無理なものは無理。できる時に仕掛けていくほかありません。冬場は作業場で道具を作ったりしています。
家にいるよりは、一日でも海に出ていたいものですか?
新しい竿を買ったりしたら試したいし、魚が釣れていたら、やっぱり早く出たいですよね。
改めて、釣りは好きですか?
釣れていれば。(笑)釣れていたら、楽しいです。
辛いということはないですか?
風が吹いて寒い、とか。夏の日差しは強くて暑いな、とか。(笑)
古谷親方からの教えで印象に残っていることとは何でしょうか?
いろいろありますけどね。技術に関わることはひととおり教わって、それはかなり役立っています。
「漁師とは」といった心がまえは教えられましたか?
口では言われていない気がしますが、態度では教えてもらったかと思います。
よく言っていたのは「臨機応変にやれ」でした。型どおりではないと。その真意は難しいのですが!
魚の扱いについては教えられましたか?
魚のこけらが全部剥がれて売り物にならないことがあって、漁の往復で扱いを任されていて、それからは失敗しないように気を付けました。キンメも赤色を出すために、10分くらい放置するとか、いろいろ覚えることはありました。
研修中はメモもできず、体で覚える感じですか?
そうですね。
三宅島で漁師を目指したい方の近道はありますか?
短期、長期の漁業研修制度に参加することが一番の近道ですね。
ちなみに、遅めのスタートでも漁師になれるものでしょうか?
なれると思います。船酔いさえしなければ。(笑) 自分も最初は船酔いがありましたが、克服できました。
キンメ漁に関して言えば、そこまで力も必要ないし、歳をとってもできる。島では、80歳を越えた漁師さんも現役です。
漁師になる素質は必要でしょうか?
やる気があれば大丈夫ですよ。2年、3年続けたら、みんながサポートしてくれます。最初は様子を見られてます。すぐ帰っちゃうんじゃないかとか。でも、月日が解決します。もちろん、お酒も。(笑)
三宅島の漁場の魅力は何でしょうか?
いいところですよ。漁場の多くが島から近いですし。だから、時間も朝ゆっくり出ることができます。燃料も多く要らないです。
また、黒潮に乗って、カツオやキハダなどいろいろな魚がやってきます。
自分が得意なのはキンメ漁です。黒潮の流れに関係なく、周年漁獲できます。価格も安定しています。生計を考えた時に選択しました。
今、キンメのブランド化も進んでいて、三宅島産「日戻りキンメ」としてタグをつけて売り出していますよ。
余裕が出てきたら、上物のカツオ漁とかもやりたいですね。
研修生は現在何名いらっしゃいますか?
長期研修に参加している23歳、25歳の若手を含めて3名がいます。うち1名は、東大卒で漁師を目指していますよ。
吾郎さんは、こうした研修生の第一号ですよね。
そうですね。先日船が決まった研修生もいますが、研修生同志でもよく話したりします。
最後に、吾郎さんにとって三宅島とは何でしょうか?
「宝の島」です。
(2017年3月3日阿古漁港にてインタビュー。 聞き手:木村美砂)
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